感情心理学を学ぶ駆け出し研究者兼マーケターのブログ

大学院と組織開発ベンチャーに属しながら感情心理学を肴にする日々の苦悩と葛藤を綴るブログです。27歳ですが37歳に見られます。

女性の現行『ロールモデル論』から見る、ロールモデルの必要有無は人によって適性があるのではという話。

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 みなさんには、『ロールモデル』という存在がいますか?

すぐに『この人!』と言う方もいるでしょうし、『んー、、あまり想像つかないかなあ』と言う方もいるでしょう。

今日は、弊社インターン生からふと聞いた言葉を頼りに、『女性のロールモデル』というものについて考えてみたいと思います。

 

ー目次ー

 

「私自身が、『ロールモデル』になる!」 

本日お昼時、弊社のインターン生である大学4年生女子と渋谷でランチをしようと待ち合わせ。

『野菜たくさん食べれるところ!』と私が駄々をこねて、『仕方ないですね、じゃあそうしましょう。調べますから。』と若干諭されながらヒカリエ11階のカフェへ。

 

彼女は来年からとある投資銀行に就職するのですが、現在バイトという形で2ヶ月間、会社で働いているところ。

で、ちょうどいま半分が終わったところで途中報告という感じで話してきました。

投資銀行というと、知る方はお分かりかと思いますが、随分なハードワーク。

それを社員とほぼ同じ水準でやりきる彼女ですが、とても楽しそうなのは本当にさすがだなと。上司的な立場から言うとあれかもしれませんが、本当に優秀でして。

 

この一ヶ月での仕事の内容やそれに対する気持ち、はたまた大学卒業前までにやることや昨今の恋愛事情などなど話している最中、私は彼女にこんな質問をしました。

 

『この一ヶ月の仕事の中での一番の学びってなに?』

彼女は一瞬上を見た後に、すぐ私にこう返しました。

 

会社に『ロールモデル』がいないんですよね。私自身がその『ロールモデル』にならないと。それが一番の学びです。

 

なんてシンプルかつ力のある言葉なのでしょうか。

すぐに答えを返せるということは、毎日毎日、思っていたことなのでしょう。

 

確かに投資銀行ともなるとまだそこまで女性の入社比率は高くはないでしょうし、そのハードワークの最中で辞める人も多いはず。

実際聞いてみると、入る部署には30歳の女性が1人いるだけとのこと。すでに辞めた方も、もともとあまりいないそうです。

それだと、どうしてもロールモデルとしてはあまりに選択肢が少なすぎて、成り立たないですよね。

 

ロールモデル』って?

ロールモデル(role model)』を英辞書で引くと、こんな意味だそうです。

『a person that you admire and try to copy』

ーThe Oxford Advanced American Dictionary

 

つまり「憧れであり、お手本としたい人物」という意味。

とはいえ、属性によってその『ロールモデル』の捉え方はかなり異なるのではないでしょうか。

 

そこで実際、女性のロールモデルというものは実際どのように語られていることが多いのか、簡単に見ていきましょう。

なお、女性という大きな括りにするのはとても嫌なのですが、便宜上まずは女性というところを出発点にしたいと思います。

 

『女性は30歳がキャリアの曲がり角』という論調

まず、女性のロールモデルについて、『30歳がキャリアの曲がり角』と書かれている記事が多く見受けられますね。

president.jp

戸惑って立ち止まってしまう「キャリアの曲がり角」


こう書くと「そんなことない。もっと前にそうなることに気がついていたはず」という声が聞こえてきそうです。その指摘は正しいけれど、多くの人は問題を先送りしたがるのが世の常。

 

さらに問題を深くしてしまうのは、30歳を過ぎたあたりから「自分の能力にある種の見切りをつけなければならない」と思い込んでしまう女性が多いことです。見本にしていた先輩たちの今を見て、自分の現在の能力と比べてみると「このくらいまではいける」逆に「この程度しかいけない」と、勝手に悟ってしまいがち。そのタイミングと先行集団がバラける時期が重なると、どうにも戸惑ってしまうようです。

 

『女性のロールモデル不在』という論調

また、『ロールモデル不在論』という概念もあるそうです。

とはいえ、以下の記事では『女性活躍推進のためにはロールモデルが必要だけど、不在だよね。増やさないとね。』というのが論調のよう。

 

人は無意識の内にロールモデルを選び、その影響を受けているといわれています。ビジネスパーソンにとっても、ロールモデルが存在した方が、それをお手本にしながら自分なりに行動する→成功(失敗)する→学ぶ→改善する、という成長のサイクルを回すことができます。また身近なところにお手本となる存在がいることで、「安心感を得られる」という要素もあるでしょう。


もし、皆さんの会社の中で管理職として活躍している女性、あるいは管理職ではなくてもリーダーシップを発揮している女性が大勢いれば、その中から自分に合ったロールモデルを見つけることも可能です。しかし、そのような女性があまりおらず、いたとしてもその女性が際立って優秀だった場合はどうでしょうか? おそらく、周囲の女性たちからすれば「あの人は特別だから…」「スゴいと思うし、尊敬してるけど、マネはできない」と考えるのではないでしょうか。これは多くの女性管理職を輩出している企業の女性であっても、例外ではありません。女性特有のバイアス(自信のなさ)から「自分はあの人たちのようにはなれない」と考え、昇進を打診されても断ってしまうケースは、決して珍しいことではないようです。


日本企業における女性活躍推進は道半ばです。会社側が活躍のモデルとなる存在を社内で見つけ、女性社員に示すこと、あるいは女性社員が自分自身にフィットするお手本を社内で見つけること。その両方を実現することは、なかなか難しい状況にあるのだと思います。

女性活躍推進における「ロールモデル不在論」を考える | オピニオンズ | CICOM BRAINS サイコム・ブレインズ株式会社

 

 女性にはロールモデルなんていらない』という論調

そんな論調もあらば、はたまた『ロールモデルなんていらない』という意見もあるようです。  

jbpress.ismedia.jp

こちら、アクセンチュア社とNPOの東京ワーキングママ大学が組んで展開する、子連れで行けるビジネススクールの紹介の記事です。

 

海外ではメンタープログラムを提供している会社がありますが、日本ではあまり聞きませんよね。女性活躍というと、なぜかロールモデル論のようなわけのわからない定性的なもので語られがちですが、私たちのプロジェクトメンバーの中にはロールモデルが必要だと感じている人が1人もいなかったんです。女性のマインドを変えるために必要なのはロールモデルではなく、もっと別の何かなのではないかと。しかもそれは企業のステージや規模、業種などによって傾向が違うのかもしれません。

 

同じ女性と言っても、ロールモデル1つとってもその考えは異なるようですね。

 

『重要な他者』傾向の強弱から見る、『女性のロールモデル有無適性論』という考え

ちなみに正直私は、結局は個人の感覚に委ねられるところは大きいのかなと思っています。

 

特に女性に限らずですが、周りの人と同調しながら進んでいく人もいれば、自分の信じた道を突き進む人もいます。

また、これは弊社の独自調査でも出している内容ですが、人が他者を重要と感じるかどうかというのも、人によってはかなり傾向が分かれます。

我々はこれを、『重要な他者』という言い方をしています。

■『重要な他者』という項目の意味

これまでの人生で自分に大きな影響を与えてくれた他者が存在している傾向の強弱

この傾向が強い人は「本当に信頼できる人という存在がいると強く思っている」ということ、逆にこの傾向があまりない人は「本当に信頼できる人という存在がいると感じていない」ということになります。

この傾向の強弱でも、『ロールモデル』が欲しい人といらない人は分かれるでしょう。

 

 

ロールモデル』というものが、必要とされるかされないか。それは1人1人の背景によって異なるであろうと思われるので分かりませんが、少なくとも言えることは、弊社インターン生が言うように、まず最初に自ら先陣を切って道を切り拓く人がいなければ『ロールモデル』という存在は登場しません。

 

『会社にロールモデルがいないんですよね。私自身が指標にならないと。それが一番の学びです。』

 

この言葉を思い返しながらそう考えて、かつ上記のアクセンチュア社と東京ワーキングママ大学の記事も合わせて考えると、少し全体像が見えてきます。


もしかしたら上記の『重要な他者』という傾向がとても強い人は『ロールモデル』というものをそもそも意識せずに働くことができるのではないでしょうか。

そして同時に、『重要な他者』という傾向がとても弱い人はそもそも『ロールモデル』のような他者がいても影響を受けにくいので『ロールモデル』がいてもいなくても同じなのではないでしょうか。

 

これは完全に仮説ですが、もしそうだとしたら、私はこう考えます。

『重要な他者』の傾向がとても強い人ととても弱い人向けには「そんな我が道を創ってあげられる会社の風土」が必要なのかもしれませんし、

どちらにも属さない人向けには「信頼してくれてかつ尊敬できる存在が常にそばにいてあげられる環境」が必要なのかもしれません。

ロールモデル有無適性論』とでも言うのでしょうか。

 

 

少なくとも、女性にはロールモデルがいるのかいらないのか、いるならどう創るのか、いらないのならどう女性活躍をするのか、みたいに一元的に『女性』という括りで何か制度や施策を創ろうとすること自体がなんだかあまり意味のないものに見えてきますね。

できるだけ個別に、できるだけ仔細に、それがこれからの多様性溢れる社会の中で人が一番幸せに生きれる前提になってくるのではないでしょうか。

だって、『ロールモデル』がいようがいまいが、それはその女性1人1人がそれぞれ幸せになるために在るべきものだからだと、思うからです。