ダンスユニットTABATHAの公演を観に行って、機械と人類と感情について考えることになった話@渋谷
先日、友人の柴田菜々子さんが所属するダンスユニットTABATHAの単独公演を観に行ってきました。
柴田菜々子さんは以下のように『踊る広報』として数々のメディアにもご出演なさっている御方。週3日会社員として広報を担当しつつ、週4日をダンサーとしてご活動。
(普段てきとうに「ななこねーさん」とゆるく呼ばせてもらっているものの、踊りを観る度にそのゆるさを改めねばと、強くそう思う。ただ毎度思って直してない。。笑)
さて、今回はそんなTABATHAについて、そして観に行ってきた『マニュアル』とその中身を記してみたいと思います。
ちなみに、観ながら私がずっと思っていたことがこれです。
『すべてはきっかけにすぎない』
本当に、本当に、きっかけがたくさんありました。
TABATHAって?
HPの記載をそのまま引っ張ってきます。こちらには書いてませんが、韓国でのご公演もなさっているのですよね。
岡本優が振付・構成・総合演出を行う。メンバーは工藤響子、柴田菜々子、四戸由香。
クラシックバレエを基礎とする振付には、コンプレックスを抱える己れの恐怖心や羞恥心を超え、身体の可能性を伸張し、POPでいて強烈な、重量感のある身体表現を目指す。
人を巻き込むパーティー形式のパフォーマンスを得意とし、初めてダンスを見る方でも親しみやすく、観客を楽しませる。また、衣装や装飾にこだわりを持ち、視覚的に目を引く演出を展開する。絶大な信頼関係でよりストイックな作品づくりを目指す。
MV・映像作品にも出演するなど、活動の幅を広げている。
ちょっとダサくて、かっこいい。
一度見たら病みつきになるような、全員めがねの爆発ダンス集団。
NEXTREAM21 in RIKKOUKAI vol.11公開ダンスコンテスト 一般部門 優秀賞受賞。
主宰岡本はトヨタコレオグラフィーアワード2012ファイナリスト。
コンテンポラリーダンス、という型のない形式でやられており、ダンスを全く知らない人間からすると、さながら現代アートのような自由さと力強さがそこにはあります。
『マニュアル』ってなに?
実験用ラットをモチーフにした15分ほどの小作品で『マニュアル』というものを2015年に発表したらしく、今回はその長編版とのこと。
(なお、私は実験用ラットという前提を知らずに見ていました。それはそれで先入観なしでよかったのですが、ご提供いただいている情報は事前にしっかり読むべきです。。。笑)
私は直接存じ上げていない方ですが、当日配られたチラシの中に主宰の岡本さんのお言葉がありました。
その文章がとても素敵だったので、そのままこちらに転載させていただきます。
私がダンスに出会ってからかれこれ26年経とうとしておりますが、最近は常に「ダンスって何なの?」と考えています。
正直、自分が踊るダンスが楽しいと思ったことはほんの僅か。ダンスを初めて此の方、ダンスがコンプレックスです。形が決められているダンスを避け、逃げてきて、ここにいます。難しくて、答えのないダンスをあえて選択肢、さらにダンスになんの意味があるのか?と考えているのですが、もしかしたら超絶意味がmないものかもしれない。と思ったんです。こういうダンスが楽しそうと思うまでの道のりは長い。(だからPARTYをやっているのですが)
ダンス(または芸術)を観てみようと思うことなんて、日本人にはハードルが高すぎるんです。だけど、SNSがとんでもなく普及して、簡単に凄そうなものを見れちゃう世の中で、劇場に出向き、生の芸術を見る事がまだまだ残りそうなのもなんか不思議。
少し諦めながら、悟りながらダンスに向かうことを選択した私ですが、これからのダンスの為、実験をしてみようと思いました。
・ダンスは必要とされていくのか
・ダンスは必要なものなのか
・ダンスとは何か
今回の公演で私たちは、発見したり、ふるいにかけた理、嫌になったり、好きになったりすると思います。絶対的な安心感でお届けしていたPARTYとは違い、曖昧で完結しないことをあえて提示してみたいと思います。
個人的には、『正直、自分が踊るダンスが楽しいと思ったことはほんの僅か』というところにプロフェッショナルさを感じました。あと、『ダンスは必要とされていくのか』というの貢献感も素敵だなと。
好きとか楽しいとか働きがいとか生きがい、とか大事!とよく言われる昨今ですが、そこに意図的だろうが意図してなかろうが、プロフェッショナルさと貢献感ってすごい大事だと思うんですよね。周りのエグゼクティブなビジネスパーソンたちも、『楽しいのって、ほんの一瞬だよね。楽しそうに見えてても、裏での試行錯誤とか企みとか失敗がすごくて。でも、その一瞬の楽しさが、本当に嬉しいんだよね。』とよく言っていて、これと通ずるところがあるように感じました。
『マニュアル』の流れ
渋谷の某場所にある倉庫みたいなところを会場としていたこちらの作品。
チラシにもWikipediaの情報を書いていましたが、『マニュアル』にはこんな意味があるようですね。
■概要
(1)ある条件に対応する方法を知らない者(初心者)に対して示し、教えるために標準化・体系化して作られた文書である。
(2)人間の行動や方法論を解説したものとしては、社会や組織といった集団における規則(ルールなど)を文章などで示したもので、一般に箇条書きなどの形でまとめられ、状況に応じてどのようにすべきかを示してある。■取扱説明書
機械装置や道具といった工業製品などの使用方法を説明した印刷物などである。図と文章などを使って、解り易く解説してあるのが一般的である。
■手引書
行動や方法論を示した手引書やマニュアルは、状況に即してどのように対応すべきかを説明したもので、これは所定の社会や組織(企業などを含む)における各個人の行動を明文化して示し、全体に一貫性のある行動をとらせるものである。
また、こんな内容を踏襲した目次もすごく面白いんです。
ー目次ー
1)説明 / Description
2)実験01/ Experiment01
3)認知 / become to like feel
4)染色体 / Chromosome
5)繁殖 / Beed
6)対象 / Target
7)実験02 / Experiment02
8)反応01 / Reaction01
9)反応02 / Reaction02
10)反応03 / Reaction03
11)過程 / Process
上記で示したように実験用ラットをモチーフにしているがゆえ、こんな内容。
もはやどこで何をどう感じたのか分からなくなってしまっていて『自分のばか!』という状態なのですが、とても機械的な感じで始まります。ラットたちを使った研究のための設計をして、その実験を繰り返して研究結果を出してみたり、反応を見てみたり。
(これ、実際に研究者との議論をぐいぐい交えて作られたんですかねたぶん。実際の研究者、ラットで実験する方々を、多様性溢れるいろんなジャンルの方を探して交えてうにうにするととても面白そうですね)
11工程あるにも関わらず、本当に一瞬で終わってしまいました。おそらく1時間くらいあったはずですが、参加していたみなさんそうだったのではないでしょうか。
終わった瞬間、鳴り止まぬカーテンコール。皆、なかなか言葉にできない恍惚感というのでしょうか。それをとても感じたのです。
何名かの感想を
僭越ながら、数名の感想をば。もちろん、匿名で。
ただ、私が一緒に行った面々なので、年代にばらつきがなくてあれなのですが、、、
(ビックリマークが多くて、その興奮度合いが伝わってきますね。笑)
■ 初めて見たけど、感動でしたー!心躍る時間をありがとう!!今日のを見ていて、自分の家業であるお寺でお経を唱えながら、その世界を踊りで表現することができたら面白そう!なんて思ってしまった笑 ぜひともまた観に行きたい!! ダンスちょっとかじったことあるぐらいで詳しくないからうまく表現できないけれども、「感じる」ことはできました!笑 (20代男性 / ITベンチャー企業マーケティング・僧侶>)
■ 私は完全に研究室の中のねずみ4匹を想像しながら見ていました!
その中でも4人のダンスが美しくてかっこよくてしなやかで1時間があっという間でしたーーー!!!目が離せなかったです!あんなに体が自在に動かせるようになるには相当な練習と筋トレとかストレッチとかされてるんだろなとか、そんなことも妄想してたり。ダンスも音楽も大好きだからまた参加したいです!(20代女性 / 大手EC系企業セールス)■ 人間がマニュアルをインプットされて動き出す、反応する、どうなっていくかという変化だと感じました。AIとかIoTとかロボットの世界。そして、不都合や思った通りにはいかなかったり、感情が芽生えたり。とにかく魅せられたしかっこよかったです!そして、ダンスって表現するだけでなく、舞台だとストーリーでどう見せるか考えたさせるかとか色んな要素があって、圧巻でした!(20代女性 / 外資系大手PR会社)
『すべてはきっかけにすぎない』
冒頭にも書かせていただいたこちら。
私が公演中にずっと感じていたことです。
もう、その観ている間に一瞬の仕草からいろんなことを思い出したり、いろんな本や映画を思い出したり、今こうやってブログにしたためている最中も自分の過去や未来と連結させながら思い馳せます。観ているもの『すべてはきっかけにすぎない』んです。いろんなものの、きっかけです。
以下、北村の迷走している感想なので興味があるという奇特な方はぜひ。笑
※細かい描写や目次番号を忘れてしまい、かつ言語化できず、そのシーンを脳内でしか再生できなくて申し訳ないのですが、以下みたいなことを考えていたりしました。
■『冒頭の機械的な動きのシーンで』
AI時代という流れと、大量退職時代という2つの時代が押し寄せてくる時に、表面的によく言われるのがAIが人から仕事を奪うと言う話。ただ、産業革命でひたすらに生産ラインを構築して生産力をあげて時代が変わったように、今回も失われる仕事もあれば創出される仕事もある。そして、失われる感情もあらば、創出される感情もある。その感情をどんな感情だと定義し、その感情をどうコントロールするか、誰からどう制御していくか、世間のルールにしていくのかがとてもネックだなあと。映画「her」では、OSに恋する男の話をしているが、あんな世界も近いのかも。最近のGoogleecoとかもその流れ。
■『機械的な動き以外の行動が発生するシーンで』
機械が如何に自我を持つか・その自我の中で喜びや葛藤や楽しさや苦しみが生まれる、その自分の中の戦いの末に見つける豊かさ、それは一体どんなものなのか。。。実際、映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」では脳以外全て人造人間という主人公が自らの存在意義と目的を常に問い続ける。映画「AI」もそういう意味では同じ。自らは機械なのか、自らは人間なのか、自らはなぜ今存在しているのか。そんなことを思案する機会が今後いずれ、発生するやも。その時に自分はどう考えるか。
■『両者が互いに作用し合って引き留めたり押したりするシーンで』
人には個性があるが、その個性はえてして埋没しがちでそこまで定義通りの個性化していない。それで今まではまだ回ってきた社会だったが、今後はそのレベルの個性の埋没化が起き続けると、次第に違いに足を引っ張ったり逆に干渉しすぎるようになる。自らの個性をいかに早急に把握し、自分の日々の行動に直結させていくか。小説「ギヴァー」では、人から感情/考えを排除するコロニーが大量に存在し、そもそもそれがすでに世界の常識というか感情/考えという概念を無くした世界が構築している。個性を弱めた先にはそんな世界があるのではないか。「ギヴァー」では結果的に自分の自らの感情を探す旅にでるわけだが。というか、そこでも描かれていたが個性の喪失はそもそも互いに作用し合う、関係築くのも難しくなるのでは?ここら辺大好きなので、ピープルアナリティクス的というか人の感性と性格の研究をやはりとてもしたい。
■『それぞれが自在に動き回るシーンで』
人の行動原理の根本は好奇心。人類史上、狩猟民族が農耕に移り定住した時に暇と退屈が生まれたと「暇と退屈の倫理学」では記されているが、では農耕の先に分業時代がくるが、そもそも分業はどこから始まるのか。それは、好奇心だと思う。余暇の時間を何に使うか。おそらく最初は単純に自分のしたいことを余暇時間にやっていた面々が出てきたはず。そんな中、石を切って武器を作るのが好きな人がいて、誰かがそれを見つけて「なんかこいつの武器使いやすぞ!」というような感じで徐々に仕事になっていったのかも。それって、その時間を好きに費やして他の人が気にならないところを気にできたのかという違い。好奇心が一番大事。また、「ヒューマン」では人に最初に宿った心は「分かち合う心」だと定義していた。そんな心を今後どのように育んでいけばよいのだろうか。。
こんなことをダンスを観ながらひたすら考えては無心になって、、、を繰り返していたのですが(この瞬間にマインドフルネスのとこも考えてましたねそういえば。いまここ、と)、こんな風に思考するきっかけになるのは、このダンスだけに限りません。
他のジャンルでももちろんありますよね。それを観れば刺激を受け、そこから他の発想でも広げることができ、新たなものを創ることも可能です。個人的には、そのきっかけをくれる量が他のものと比べて、この『マニュアル』はものすごくてですね。(私が普段みる日本文化だともっと動きが遅かったりするので、段違いに早いこちらを拝見していたら情報量が多くかなり刺激が強くて、そういう意味でも違いが面白かったです。)
そういった背景がありながら、『すべてはきっかけにすぎない』と思うのです。
『〜にすぎない』とか言ったら語弊があるかもしれませんが、それを踏まえ何を感じ何を行動していくのか、、、拝見するすべてが、そんなことを考え感じ思うきっかけになりますよね。それって、本当に大事なことだと、私は思うんです。そんな機会をくれる場所に巡り会い続けるって、とっても難しいと思うし、それと同時にとっても面白い。そんな刺激をくれる彼女たちの公演に、本当に感謝です。心の底からありがとうです。
その驚きと感嘆ときっかけに満ち溢れた彼女たちを観たければ
彼女たちTABATHAの今後のスケジュール、私は全く知らないのですが(笑)
詳細は、多分以下のリンク先で共有なさるのかなと思います。ご興味のある方、ぜひまた次回のタイミングでぜひ。