『あなたのフィロソフィーは何?』という問いに日本人のどれだけの人が答えられるのだろうか。
この間、パリに行っていました。
そこで偶然会ったパリジェンヌに、こんな問いを投げかけられました。
『あなたのフィロソフィーは何?』
フィロソフィー、調べてみると、そのままですね。
『哲学』
では、『哲学』とはなにか。
こちらも調べてみると、以下のような2つの意味があります。
てつ‐がく【哲学】
《philosophyの訳語。ギリシャ語のphilosophiaに由来し、「sophia(智)をphilein(愛する)」という意。西周(にしあまね)が賢哲を愛し希求する意味で「希哲学」の訳語を造語したが、のち「哲学」に改めた》
1 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。
2 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての哲学をもつ」「人生哲学」
『あなたのフィロソフィーは何?』
ここで言う『フィロソフィー』とは、2番の「人生観」や「世界観」というのが該当するでしょうか。
そう、この問いでは、あなたの「人生観」や「世界観」が問われているのです。
そんな哲学なお話をそのパリジェンヌとしていたのですが、聞いてみたんです。
「フィロソフィーの話をするのって、パリの人だと普通なの?それともあなたの好きな話?」
すると、こんな答えが返ってきました。
「いえ、私の好きな話というわけではないの。パリの人たちは、小さい頃から『愛』と『哲学』を問われて育つのよ。『あなたにとって、それはどういうこと?』って。だから、カフェにいる時、バーにいる時、普通に話すことなの。日本ではしないの?確かに日本の人に聞いたら答えられないことがあったわね。」
これ、個人的に結構衝撃的でして。
だって、幼少期からそんなことを考えているんですよ。日本だとどうなんでしょう。今の教育がどうか分かりませんが、多分そこまでのことを日々問うているとは思えないんですよね。
「いやあ、そりゃ差ができるわな、、、」と強く感じると共に、そういう教育をせねばあかんと思うのですよね。
私は仕事上、かなり多くの人と個別で会いますし、私自身そういう話をするのが趣味なのですることも多いのですが、パッと答えられるケースはそこまで多い訳ではなく、結構疎まれるケースもあるんですよね。
そういうことを話すのが恥ずかしいのか、恥ずかしいというより人と話すものではないというようなニュアンス。いや、そもそも考える機会をなかなか持つことができていないのでしょうか。
これかなり問題だと思ってまして、こちらのブログの内容にも繋がる話かと思うんですよね。
ここ、切り込んでいきたいなあ、、、