感情心理学を学ぶ駆け出し研究者兼マーケターのブログ

大学院と組織開発ベンチャーに属しながら感情心理学を肴にする日々の苦悩と葛藤を綴るブログです。27歳ですが37歳に見られます。

【働きながら大学院に通うあなたに】時間と労力の無駄なく英語論文を読むための方法まとめ。

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働きながら大学院に通う。それだけで世間からは、

「大変じゃないの?」

「すごいね」

「時間なくなりそう」

「勉強好きなんだね」

「お金高そう」

そんなことを言われます。

 

私も今、働きながら大学院に通っている身ですのでそんなことをよく言われるわけですが

確かに大変だけれども、通っていようが通っていまいがみんな忙しくしているだろうし、勉強はゆうて嫌いだし(自分に関しては)、お金は教育ローンとか諸々で借金すればなんとかなる。

 

ただ、まあ確かに時間はないわけです。

働きながら大学院に通って「時間余裕です」と言っている人には会ったことがないので、ある程度全員に共通することのはず。

 

で、大学院に修士として入ったからにはその主たる任務は「論文」を書くことでして。いわゆる修論

ただ、入学してから理解したのですが、そりゃもう「論文」に取り掛かる時間は結構ない。

大学までじゃなくとも授業だってあるし単位は取らないと卒業できないし、そもそも日常のメインは仕事なのでその隙間でどうにかこうにか大学院のことをやってると、「論文」を書くに至るのがとても難しい。

*ただ、家にパートナーやお子さんがいて通う方々は、私なんかと比べると格段にきつさが高くなると思います。同期にもそんな方が大勢いて、本当に尊敬します。どうやって全部成立させるんだろう、、、ほんとどうやってるんですかね?

 

さて、「論文」を書くにあたり、よく言われること。

それは、過去の「論文」をめちゃめちゃ読み込むというもの。私の指導教授は「100本いち早く読め」といつも言っているのですが、これまたなかなか難題なのは、こんな事柄。

  • 自分のメインテーマを絞らないと読む論文の幅が広がりすぎる
  • 1本読むとしてもかなり長い
  • 小難しい言葉が多い
  • 世界最先端の論文を読もうと思うと、基本的に全部英語

 

私もここ数ヶ月読もう読もうとしながらもちょびちょびとしか進まず、なかなか思い悩んでいました。

「この読み方、生産性低すぎやしないか?」と。

 

そこで、論文を読みかつ自分にインプットしきることをかなりの高速で行えるようにするというのをこの年始のタイミングで行えるようにしておかないと今後、リアルに『死あるのみ、、、!』と思い調べていたのです。

 

すると、なんともたくさん出てくる出てくる方法の数々。

そりゃ、今までの論文読む人たちが全員通ってきている道ですので当然かと思いますが、調べ進めるとある程度みなさん仰ることがパターン化されているので、これはもはや一旦従ったほうがと思い、自分の備忘録的にこちらの記事に記そうと思います。

 

大きくは、この5つである程度完璧です。

 

 

 

  

多くの方の知見をまとめて要約して、1つ1つ簡単に書いていきますね。

 

1. 原著論文を読もう

 

原著論文とは、「オリジナルの研究を行い、詳細に報告する。特定の研究課題に対する独自のアプローチを示す」とされています。

こちらの記事の中にあるように、レビュー論文と比較すると分かりやすいですね。

 

www.editage.jp

 

以下の対照表もとても理解しやすいかなと。

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ちなみに、調べれば調べるほど落合陽一さん(メディアアーティスト、 筑波大学 学長補佐 助教デジタルネイチャー研究室主宰)の記事が出てくるのですが、彼は原著論文についてこう語ります。

原著論文は価値がありますね。だって常に世界で最先端ですから。世界で新しいもの以外は原著論文として公開されないので、新しい原著論文から100本読んでいくって言うのは大切なアプローチだと思います。

 

 

2. 論文の流れと読む順番を理解しよう

 

さて、論文を読むにあたり、大事だと多くの方がいろんな記事でおっしゃっているのが論文の流れを把握することと、読む順番を理解するというもの。

 

これも落合さんが仰るものが一番分かりやすいので、そのまま記述させてもらいます。

 

■論文の基本的な流れ

①導入(背景・問題提起)
⬇︎
②関連研究(他との違い)
⬇︎
③調査・分析(具体例など)
⬇︎
④仮説証明(主張の証明)
⬇︎
⑤議論(良さ悪さ)
⬇︎
⑥結論(何をしたか・詳細)

 

■読むにおすすめな順番

①導入(背景・問題提起)
⬇︎
②結論(何をしたか・詳細)
⬇︎
③仮説証明(主張の証明)
⬇︎
④関連研究(他との違い)

 

いくつか論文を読んでいるとなんとなく理解し始めますが、頭からずっと読むのはなかなか骨が折れるもの。

それをこのように読むだけで随分と早くなります。

よくよく考えると、大学受験の際に現代文の読み方とかで習うようなものと同じ流れかもしれませんね。

小説大好き人間からするとこのような読み方をするのが結構嫌だったりするのですが、これは論文。我慢して読めということですね。

 

↓ちなみにこの流れはこちらから拝借。

【落合陽一流】500倍のスピードでインプットする論文の読み方 | IDEA COLLAGE

 

 

3. 英語の翻訳はGoogle翻訳で十分

 

論文、特に原著論文は英語で書かれているものが大半です。

日本語で書かれた論文は、日本人の中でも日本国内で論文発表されたものだけですからね。論文のほぼ全ては英語なわけです。

で、英語の文章というだけで拒否反応を示す人は多いはず。かくいう私も、ほぼ無理です。

 

ただ、これも様々な記事に載っていましたが翻訳はGoogle翻訳で十分とのこと。

数年前は全然使い物になりませんでしたが、実際に今のGoogle翻訳ってすごいですよ。以前、私が書いたブログを全部Google翻訳にかけてイギリス人の友人に見てもらったことがあるのですが、伝えるに何も問題ないと言っていました。Googleさまさまですねほんと、、、

ということで、言語問題もある程度大丈夫と。

 

もちろん、無理なケースもあるので、その際は別途単語ベースでやるのが良いですね。

*ちなみに、スマホで画像認識させて、写している画面上で翻訳するという機能があるのですが、それは感動しますよほんと。

 

 

4. 読んだ後は簡潔にまとめよう

 

読んだ後にはちゃんとまとめること。そう落合さんも言っています。

落合さんのおかげで、世の中の学生たちは随分と救われているように思うんですよね、、、

 

このフォーマット、何が書いてあるかというと、以下の6点をそれぞれの論文を読んだ後に残しておくと良いというもの。

  1. どんなもの?
  2. 先行研究と比べてどこがすごい?
  3. 技術や手法のキモはどこ?
  4. どうやって有効だと検証した?
  5. 議論はある?
  6. 次に読むべき論文は?

 

これを残すということは、これに残すことを念頭に論文を読むということですね。

先ほどの読む順番の最中、分かったらすぐに記述していくのが良さそうです。

 

ちなみに、私もこれに従って書いてみたのですが、読むのが随分と早くなりますし、記憶に残ります。

そして、これが積み重なると自分だけの地図ができるという、なんとも素晴らしいもの。

これ、100論文くらいやるだけでも相当知識になるとともに、自分の領域が明確になりそうですね、、、

 

5. 読んだ論文とまとめを一覧にしておこう

 

さて、これが最後。

1〜4までを重要視しながら論文を読んでも、その情報がまとまっていないと後から振り返ることができないというもの。

もちろん1度読んで終わる論文もあるでしょうが、大切なものであればあるほど改めて読み直したりするはず。

 

そこでこれは私がやり始めたやり方ですが、個人的にやりやすいので書いてみますね。

  • 基本的にはDropBoxで管理
  • 「paper」階層の下に「paper/overview」と「paper/detail」を構成して、「paper/overview」には4でまとめたデータを格納、「paper/detail」には論文そのものを格納
  • データ名は、「論文タイトル 著者 書いた時期」とする
  • 「paper/detail」に格納されている論文を見るのは全てMendeleyで

 

ちなみに、Mendeleyは論文を管理するツールなのですが、これの上で論文の色つけなどしやすいので使っています。(PCのローカルから参照しているだけなので、本体にPDFファイルがないと表示できないのでDropBoxに入れるの必要)

 

なお、Mendeleyはこんな感じです。

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www.mendeley.com

 

 

いかがでしたか?

多くの方の知見をかなり要約して書いてみましたが、実際にはご自身でやってみないと分からないはず。

私も自分でやり始めてようやくなんとなく分かり、続けてどんどん習熟してスピードアップしてきました。
ぜひ、お試しいただければ幸いです。

とある心理学部の女子大生が言った「専門性高めても仕事がないかもしれないって、とても不安なんです」

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本日、とある大学の心理学部に所属する女の子と話していたのです。

というのも、弊社事業にて心理系の専門性高い方々に一緒に仲間になってもらうことがちょくちょくありまして、実際にその道を目指している方がどんなことを思ってその道を志すのか、そしてどんな不安があるのかにとても興味がありまして。

 

そこにはとても強い意思と、そして強い不安がありました。

 

まだ直近だと2名しか話していないですけれど、彼女たちには強い原体験があるんですよね。

昔、心を病んでしまった友達に対してどのように接して良いかわからなかった、友達として接したしその相手のためにできることはすべてやったけれど、もっと良いできることがあったのではないか、、、

昔、学校にいたカウンセラーの先生がいて、その先生と話すのが本当に楽しかったし、いつも自分が抱えていた悩みを一緒に考えてくれた。勉強のこと、家のこと、恋愛のこと。その人がいなかったら、今こうして好きな自分を出しながら生活なんてできなかった

そんなことを、聞いたらすぐに返ってくるですよ。本当に、いいなあと思うんですよ。

 

で、彼女たちはそのまま大学院に進学して、臨床心理士や公認心理士などの資格を取るわけです。

 

そんな想い溢れる彼女たちでも、未来に関してはすごい不安そうでした。

そもそも臨床心理士や公認心理士の資格を取得し、ある程度専門性を高めても、なかなか働ける場所がないと。

例えば病院のカウンセラー、会社のカウンセラー、学校のカウンセラー。

様々あれど、基本的にすべて非常勤で、収入も不安定。学生時代にバイトしていたところでバイトをしながら、いくつかのところで非常勤で働くというスタイルが一般的とのこと。

 

いや、正直それ聞いた時に驚いたわけですよ。

学部も院も通り心理学を志し学んだにも関わらず、その専門性を活かす場所が全くないって、何なのでしょうね。

世の中に必要とされていつつも、全く門戸が開かれていないというか、どこもそういった患者さんをてきとうにあしらうかのような体制。きっと必要としている人はたくさんいるにも関わらず、それでもその領域は広げられていなくて、助けてあげられない人・サポートしてあげられない人が世の中に溢れている。

 

実際、弊社の事業をしていると思うんですよね。

外部の人と話すこと自体に価値をそもそも感じていない人も多いけれども、誰でも外部と接してみるとその価値に気づくんですよ。

「あ、こんなの初めてだけど、これがあると自分も変われるかもしれない」「成長できるかもしれない」「心を落ち着けることができるかもしれない」って。

 

そんな状況にも関わらず、なかなか未来も見えないにも関わらず、彼女たちはそれでもその心理の道を歩むわけです。

本当に、そこに対する気持ちが強くないとできません。

 

そんな専門性を有した方々がもっと活躍できる社会にしたいですし、その力を受けて様々な人が前に歩める社会にしたいですよね。

そもそも、心理学がすべてに共通する大事なことであるというのを、人が認知もして欲しいです。

 

※心理学部、研究科のご出身で、今もそちらの専門性を活かして働かれている方にもっと会いたいですね。どなたかいませんか、、、!

 

「視野を自由に定義する」能力を欲しすぐに得ようとする行為は、そもそも視野を狭めた二元論であるというパラドックス。

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先日こんな記事を記しました。


ここで二元論に陥るのはほんと嫌だよね、、、というようなニュアンスのことを書いたのですが、そのあとジーンクエストというゲノム解析ベンチャー代表の高橋さんが書かれていたこの記事を読んで、すごく、すごく納得しました。

ここから言えるのは、人は無意識のうちに視野の選択を行っており、視野を自由に定義できないと、思考停止に陥りやすいということです。

同じように「AかBか」という2つの要素だけに視野を絞る二元論に落とし込むと理解しやすいので意味があるように見えますが、ほとんどの場合は思考停止しているだけで本質ではありません。

例えば、最近は既に食傷気味の「人間vs人工知能」のような話や、「仮想通貨vs法定通貨」のような話が典型的です。その二元論で考えても真理には一生たどり着けないであろう議論を延々と続けるのは、思考停止だとしても、わかりやすいからです。

でも、本質はいつも二元論の視野の外にあります。

 

二元論は二元論で便利なものではありますが、そもそも簡略化するために使用しているものを全てのように捉えてはいけないですよね。

 

よく昔から葉を見て木を見て森を見て、さらに月を見て、、、というような話は至るところに存在します。

とてもマクロな視点も然り、ミクロな視点も然り、どちらもとても大切であると。

ただ、よくあるのはその視点・視野を1つに定義してしまっていることが多いのは確かだし、高橋さんもそれについて言及しています。

 

ただ、念頭に入れておかねばならないこととして、人の性質があると私は思うんです。

多分、視野を自由に定義することに長けている人もいれば、全くできない人もいると思うんです。定義すること自体はスキルだとしても、マクロ思考寄りの人もいれば、ミクロ思考寄りの人もいるし、どちらともできる人もいれば、そもそも視野という概念すらないというケースもありそうですよね。

要するに、人によってその視野の自由な定義をしやすい人もいれば、しにくい人もいる、ということ。

 

そんな性質があるとしても、もちろん一個人という単位では誰もが二元論から脱して視野を自由に定義しなくてはなと思いつつ、仮にチームとして動くのであれば別にできる人にお願いすればいいだけとも思えます。

 

ただ心配なのは、高橋さんが書かれているようなこういう素敵な文章を読んで、『そうだ!私も視野を自由に定義しなきゃ!』とか言ってその能力をつけるためにひたすら邁進しようとする人がいるのも確か。

高橋さんにそういう風に行動させることに対しての意図はないのでしょうけれど、

「必要じゃん!→得よう!」というように思考して行動することこそ二元論的で視野の自由な定義ができていません。

「それって本当に必要なの?」「そもそもそれって自分の得意なことなのかな?」と一歩下がって考えてみることで、少しずつ視野の自由な定義を行う道に足を一歩踏み出すのではとも思えます。

『「存在目的」を見つけるまでは、行動しないほうがいい?』という問いに対して。

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先日、「存在目的」についていくつか記しました。


すると、読んでくださっていた大学生の方から連絡をもらいまして(ありがたい限りです)

こんな質問をもらいました。

 

『「存在目的」を見つけるまでは、考え続けることが大事で、行動しないほうがいいってことですかね?』

 

これに対して私の考えは、完全に『NO』です。

 

そもそもの議論の前提として、私は常に行動しながら同時に考えるということが確実に必要だと思っていまして。

Action Inquiryという考え方がありますが、まさしく「行動内省」同時に行うことが必須かなと。

 

「やりたいこと」を見つけるまでなかなか行動できない、という方にお会いしたりすることがありますが、そもそも「やりたいこと」なんてまずはやってみないとわからないわけです。

行動無くして新たな発見なんてないし、行動を伴わない思考なんて一瞬で限界値が来ますよね。

やってみないと、「やりたいこと」がそもそもお客様のニーズに合致するのか、実際にどんなことが起きるのか、などなど分からないわけです。

 

もちろん、学問として、哲学として「存在目的」のみを追求するのはありかと思いますが、
それにしてもその「存在目的」を一旦仮でもいいから決めて進まないと、レベルは同じままな気がします。

 

『「存在目的」を見つけるまでは、考えるに専念して行動しない』

『行動し尽くすまでは、行動することに専念して「存在目的」を考えない』

 という二元論に陥るのは、ほんと時間がもったいないですね。もっと視野を広く広く持たないと。

「存在目的を認知する」「スキルをつける」を教育現場において区分して考えねばならない理由

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前回記したこちらのブログに引き続き、存在目的とスキルについて。

courage4u.hatenablog.jp

 

最近、教育現場を見させていただくことが多くありまして、その中で気づいたことがあるんです。

それは、存在目的を認知する、というのをスキルだと捉えてしまうとすごく勿体無いなあということ。

 

何かと言うとですよ、前回も述べたようにスキルを学ぶことに関しては今の時代、どんな場所でもどんな時間でもお金の有無を問わずできると思うんです。でも、誰かが定型化してある程度正解のある技能と知識のことをスキルと指すならば、存在目的の認知は人によってその方法も分かれ、正解もないんですよね。そんな中、スキルをつけるということと存在目的を認知するということを同居させて考えるとかなり人生の無駄遣い感半端ないんですよね。

kotobank.jp

 

私なりに考える、その背景(理由)がこちら。

 

1:誰しもに必要なスキルなんて、ない。そして存在目的は誰にでもあるし、認知する必要がある時代にある。

2:存在目的が分かって初めて自分の道がなんとなく見え、その道を辿るための手段としてスキルを駆使するのに、存在目的を認知する前に必要なスキルなんて分からない

3:とはいえ行動しないと存在目的を認知できないという話もあるが、にしては存在目的を追求する時間とスキルをつける時間のどちらに人が時間を割いている割合が高いかを見たら明白にスキル。

4:仮に一貫した教育プログラムで、数週間〜数ヶ月〜年単位にて進めている内容なら良いかと思うが、数時間〜数日のもので存在目的を見つけながらスキルをつけようとするものも多い。その場合、存在目的とスキルの両者を求めようとするとあまりに思考と感情の方向性が異なるため、自分の中で反発し合い効果が半減する(存在目的を認知したいという人が集まるところでスキルの話をすると、それを好む人はいても彼らのためにならない可能性が高い)

 

ほんと、正直スキルに偏った思考ってかなり多くて苦手なんですよね、、、

そのスキル、いる?

って、みんな常に問いかけた方が良いと思うんです。

存在目的の実現に必要のないスキルをつけようとするのは、単に”前に進めない不安”を打ち消したいだけ。

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『ティール組織』で言われる存在目的について、以下の記事のように軽く触れたわけですが、今回はスキルについて。

courage4u.hatenablog.jp

 

巷を見ると、スキルをつける系の講座とか本とかすごい多いじゃないですか。社会人向けのイベントもあらば、大学生向けの講義然り。

 

私は結構そういうスキル系のお話って一番大事なことじゃないと思ってしまう派なんですけど、実際どうなんでしょう。私がよく一緒にいるような方は同意見の方が多いと思うのですが、必要かどうかも分からないスキルをつけることほど意味のないことはないし、単に時間とお金の無駄だと感じるんですよね。

極端に言えば、別に全員がロジカルシンキングやが必要な訳ではないと思うんですよ。

これに関してはみなさんうなづいてくれるのかなと。

でも、みんな勉強するわけですよ。すごいなと。

 

で、じゃあなんでそんなことをするのかというと、以下の2つの理由がありそう。

1:存在目的が分からないから、一旦勉強してみて、その試行錯誤の中から適正を探す!
2:不安でいたくない、孤独でいたくない

 

1ならわかるんですよ。誰しもが存在目的なんてすぐに理解できる訳がないし人差はとてもありますよね。

でも、意識下だと1と思っているけれども、無意識下では2と自分が認知している可能性って低くないと思うんですよね。総じてみると、2が圧倒的に強いというか。

だがしかし、スキルをつけることで自分は前に進めていないのではないかという疑問を無理やり納得させている感じ。

そこにいる限り、不安はなくならないですよね。新たなことをしたら新たな不安が募るだけですし。

 

その”不安”を打ち消すのではなく、”不安”と対峙して超えなければならない瞬間がたぶんあって。
それに気づけるタイミングを早く持ったほうがいいですし、気づいたきっかけ(背景)によって、人生はほんと変わってくるイメージがあります。

その対峙と超える瞬間を、多くの場でつくっていきたいものです。