感情心理学を学ぶ駆け出し研究者兼マーケターのブログ

大学院と組織開発ベンチャーに属しながら感情心理学を肴にする日々の苦悩と葛藤を綴るブログです。27歳ですが37歳に見られます。

”能動的なやりたいこと”を見つけねばならないという”受動的な強迫観念”について。

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最近話題の『ティール組織』の中にもあるように、これからの時代の新たな組織の中では、1人1人が自身の存在目的を持つことが必要だと言われています。

そのように自分自身の目指す先を見つけようと努力する人のことを、数年前から『意識高い系』みたいな言い方をしたりもしますね。賛否両論ありますが、まあ極端に言ったら他者を見て高いか低いかを言い合っても時間の無駄な気もしてきます。

 

さて、そんな時代。

自身の存在目的だいじだよねーと言うこの時代において、多くの方が歩むであろう思考を順を追って記してみます。

 

1:え、そもそも存在目的って?なにそれ

2:自分の目的、、、?わからない。考えたことない

3:目的作らないといけないから、考えないと。なんだろう、、

4:うーんいくら考えてもわからない、、、

4':そうだ、これだ!

 

まあそんなに簡単に見つかるものはそもそも存在目的ではない可能性が高いですし、人によっては数年どころじゃなく数十年かけて見つける人もいるかと思います。

そもそも生涯をかけて考え続けること、それが存在目的な気がします。

 

でも、そんな時代において、なんだか意味のないスパイラルに入っているような気がしてくるんです。
存在目的と言うと固いので”やりたいこと”くらいの言葉に変えます。

私は現在26歳なので、大学生〜社会7年目くらいの意見をよく聞くことがあるわけですが、『”やりたいこと”を見つけねばならない!』という人があまりに多くないだろうかと感じてまして。

 

彼ら彼女らは、能動的に自発的に考え動ける夢と言うのか、志というのか、そういう言葉でも言えるようなものを求めているわけじゃないですか。

でも、求めて無理やり見つけようとしているのって、本当に”やりたいこと”なのか、すごい疑問なんですよね。

 

だって、能動的であろうとしているのに、その動機はかなり濃く受動的なんですよね。”せねばならない”という。

そうやって一律して”せねばならない”ループにハマるなんて、よく言われる就活の新卒一括採用と同じ。せざるを得ない状態で見つけることなんて困難ですし、得てしてそれが自分のことを本質的に表す事柄になっているのか、正直分からないと思うんです。

 

で、私の持論としては、受動的な強迫観念から生まれてきたものなんてすべて偽りだと考えていて。

運よくまさにドンピシャというものに出会う人もいるかと思いますが、そんなの稀。

”やりたいこと”って、そんな追い込まれて出てくるものではないと思いますし、そんな追い込まれる中で出てくる考えが存在目的だとしたら、疑ったほうがいいと思うんです。

 

もちろん、能動的に出てきたことだとしても常に更新する気概を持って生きていくべきだとは日々しみじみ感じますが。

 

ただ、そんな”受動的な強迫観念”に侵されている人は日本というこの国にすごい多いのだろうなと思うと、その根は深く、それを”能動的な観念”にするにはどうすれば良いのだろう、、、
と考えます。

だからこそ、この世界はまだまだ変われるとも思うのも、また事実なのですけどね。

 

 

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